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初めての起業!北田耕嗣 起業までのプロローグ 就職編

私は盛岡が好きだ。四季折々の姿を見せてくれ人の心も温かい。
そんな街盛岡を私は盛り上げていきたいと切に願っている。

私は盛岡市内の旅行会社に約10年間勤めた。
小さい頃からの夢であった旅に関わる仕事。仙台にある旅行の専門学校に入学し2つの資格を取り
就職戦線へ。ちょうど私が就職するときはバブル崩壊後、就職も簡単ではなかった。

しかし自分は絶対に受かると信じていた、他の人よりは勉強した自負があったからだ。
専門学校。名前の響きはより専門的に学ぶ、学ぶ人が集まる学校というイメージだが
入学の時にこのイメージは覆された。
同じ学年が200名ほどいたが実に旅行を学びたい人がどれだけいたかと思うと・・・
これがクラスでもほんの一握り。皆に聞けばとりあえず入ったとのこと、私は愕然とした「ヤバイ・・・」

専門学校は高校とは違いかなり自由な面がある。ほとんどの生徒はアルバイトに精をだしていた。
1年目 国内旅行業務取扱主任者試験・・・これはある程度合格の確立は高いが。
それでも学年で合格者40名。(無事通過)

でも本番はこれから一般旅行業務取扱主任者取得である。
しかしこれは難問であった。世界の事、英語の科目などがあるのだ。
実は自分自身海外へ1度も出たことがなく、旅行会社に入る以上経験しなくてはならないと思い
2年生になる前に初海外旅行を体験する。(海外旅行については別途お知らせします)

その体験が生かされ見事一般主任者も合格。(合格者6名)
(何と試験で自分が旅をしたスイスの問題が出たのであった)

就職は会社説明会と題し、会社の概要など教えてくれる(ただの説明会と思いきやここで早くも
会社側ではチェックをしていた。身だしなみ、受け答え、積極性etc)
その後、大人数での試験。ホテルで行われ人数は300名弱くらいが一斉に試験を行う。
問題はもちろん旅行に関することを中心として出題される。

1次試験の合格の電話をもらうまではドキドキだった。答えあわせを友達としても点数が悪かったからだ。

運良く2次試験の通知がやってきて今度は面接、残ったのは40名程との事。
本社の偉い方含め10名程度、自分の面接は最後である。
受付で名前を告げ順番待ち、ここがポイントである。受付する態度、声、待っている間の姿勢、態度、すべて面接とともに反映されるのであった。(これはあとから聞いたことで、あの時元気よくあいさつして
受付したのでと。)

面接が始まると視線が一斉にこちらにくる。何を言ったか覚えていないがまるで仕事と関係ない
趣味の話しやスポーツの話しだった。とにかく元気をアピールしかない私は声だけ大きくしていた。

終了後、やるだけやったのだから悔いはないと・・・・

1週間後、合格の電話がなり私は飛んで喜んだ、やっとスタートができる。

それからは実践で学ぶため添乗員のアルバイト。
○○ツアーなる添乗員で全国を飛び回った、ここで添乗員の楽しさを知る。

特に楽しかったのは受け入れの添乗員。大阪や九州などのお客様を空港で迎え東北の観光地を巡る。
自身、東北の出身だからお客様より断然地理、歴史を知っているのでより詳しく話しができた。

故郷の話をお客様にできることの幸せを感じたときだった。(しかし盛岡は通過のツアーがほとんどのため盛岡市内を案内することはなかった。ここで盛岡はなぜ観光客が来ないのかと疑問をもつ)

高校の修学旅行へも同行。朝早い準備、生徒もそうだが先生への気配りが大切(大変)
(新聞を経済新聞からスポーツ新聞まで買い込み配る、飲物の好みを確認などなど)

自分は添乗員下っ端のため見学地へ着いたら誰よりも早くバスをおりダッシュ!
(見学地入り口でチケットを交換、パンフレットを人数分揃え待つため)
京都のお寺などでは駐車場から入り口が離れているところもあり、かなり息が切れる・・・・・・
(一番最初歩いて移動していたらめちゃくちゃ怒られた)

そして生徒たちがつく頃には決して息切れを見せることなく笑顔で渡す。これが添乗員!と学んだ。
就職までの間添乗業務についてたくさんのことを学びそして就職。

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